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古色風景記

写真が好きです。私が見つけた信州の素朴な風景をお届けします。

鹿島槍ヶ岳

トンネルを抜ると景色が一変しました。

 二〇〇九年五月十八日、初めて白馬村へドライブに出掛けた時のことです。
 長野市から大町・白馬を繋ぐオリンピック道路の始めにある日高トンネルを抜ける瞬間に見た光景が今でも忘れられません。もう少しでトンネルを抜けようとするアーチの向こう側に、青空に映える北アルプスの山が目に入ってきました。新緑の始まった低い山の奥に残雪の北アルプスが高々と姿を見せます。
 トンネルのアーチが額縁のようになって、左側に鹿島槍ヶ岳、右側に五竜岳。その時の感動的な衝撃は今も忘れません。このトンネルを通る度に、今日の景色はどんなだろうと私の期待は高まります。

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長野市中条から見た鹿島槍ヶ岳(標高二八八九㍍)


 それからというもの、休日には北アルプスを見渡せる場所を探しに出かけたり、写真に収めたりという生活が始まりました。
 晴れた日には通勤中にも北アルプスが山間から見えたりします。特に快晴の空にそびえ立つ鹿島槍ヶ岳を見ると、何だか清々しく気分が良くなってパワーも貰えます。
 そしていつからか南峰と北峰からなる双耳峰の鹿島槍ヶ岳に自然と引きつけられていました。
 鹿島槍ヶ岳は私が一番好きな山です。いつも遠くから眺めている鹿島槍、いつか時期が来たら登ってみたいと考えています。

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大町市中山高原から鹿島槍ヶ岳(八月中旬)
長野市松代のあんず畑から北アルプスを望む(四月上旬)

 

 
鹿島槍ヶ岳という名前

現在の鹿島槍ヶ岳と呼ばれるようになったゆえんを調べてみました。

 室町時代(一五〇〇年代)中頃に起きた地震で、この山に大崩落が生じ、地元の(大町市平)鹿島集落の人たちが地震の神様の鹿島明神を祭ったことからといわれている。参考文献:信濃毎日新聞社編『北アルプス 下』

 「これほどさまざまな名前を付けられていた山も珍しい。」

 江戸時代の富山県側では、立山の後ろに当たる位置の山に「後立山」という山名が記入されており、これが鹿島槍ヶ岳とする説が強い。同時代、長野県側では「ケンノフガ岳」「ケンノフ岳」と呼んだ。
 明治の初めには「隠里(かくねざと)岳」「乗鞍岳」「布引岳」などとされ、雪解けシーズンに見られる山腹の雪形から、「獅子ヶ岳」「鶴ヶ岳」、南峰と北峰が高さを競うような山容から「背比べ岳」とも呼ばれた。参考文献:信濃毎日新聞社編『信州山岳百科 Ⅰ』

 山の名前については、誰が何時、名付けたものだろうと自分の中では謎でしたが、こうやって調べてみると、時代やその地方毎にいろいろな呼び名をされていたことが分かりました。それにしてもたくさんの呼び名が付いていたんですね。


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㋓ 幻日と鹿島槍ヶ岳(小川村)
㋔ 夕焼け空と鹿島槍ヶ岳(小川村)




鹿島槍ヶ岳の雪形

先ほどの文章にもありましたが、雪解けシーズンの鹿島槍山腹には、駆け降りる獅子と飛び立つ鶴の模様が現れる。
 爺ヶ岳の種まき爺さんや、五竜岳の武田菱、白馬乗鞍岳のニワトリの雪形は見て知っていたのですが、鹿島槍の雪形のことは知りませんでした。
 次の四枚の鹿島槍ヶ岳山頂付近の写真㋕ですと(角度が悪いですが)うっすらと獅子と鶴が現れているのが分かりました。
 大町市街の方から望むとよく見えるようです。時季は五月上旬〜中旬の新緑シーズンが見頃です。また足を運びたいと思いました。


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 ㋕の写真は大町市美麻地区(五月中旬)㋖大町市鷹狩山(九月)㋗小川村立屋(十一月上旬)㋘大町市鷹狩山、朝日に染まる鹿島槍ヶ岳(十二月上旬朝六時半頃)
 春夏秋冬朝昼晩、いろいろな表情を魅せてくれるアルプスや身近な山の姿は本当に好きです。
 そびえ立つ鹿島槍をただ見ているだけで気持ちが満たされる感じがします。不思議です。山の魅力やその山に思う人の心は数知れず存在するのでしょうね。


国破山河在   国破れて山河在り
城春草木深   城春にして草木深し



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